東海道ウォーク・豊橋市内をゆく… [ぶらり旅]
4月中旬の晴天の週末、1ヶ月ぶりに東海道ウォークで豊橋方面へ…
二川宿から吉田宿と、京の方向へ向け西へ歩きに出かけました。
前回のゴール地点・三ツ坂交差点へ向けまずは東海道線・新所原駅を下車し、
駅のある静岡県湖西市から再び愛知県入り、豊橋市の東の外れの市道を行きほどなく、
国道1号の三ツ坂交差点に到着…ここから東海道ウォークを始めます。
この先しばらくは国道1号線の歩道を西へ歩きやがて新幹線ガードをくぐり、先程乗った東海道線を踏切で越え、古い家屋の残る二川宿に入ります。
戦災を免れた事もあって風情ある町家が点在し、宿場町の雰囲気を色濃く残しています。
「駒屋」と呼ばれる由緒ある醸造店が今もなお健在、和菓子屋などもあって名物の饅頭などを売っていました(↓東駒屋)
(西駒屋)
やはり二川宿といえば、東海道の中でも残り少なくなった本陣が、ほぼ完全な形で現存してるという事でしょう…
自分は8年前にここを見学、ブログ記事にも載せています(記事はこちら)
そんなことで今回は外から眺めるにとどめ、先に歩を進めます…
二川宿を抜け、あとは豊橋市街を北西方向へ歩きます。火打坂と呼ばれる坂道を抜け岩屋地区の市街へ…ほとんど住宅地の中で面影まばらな中、松並木の残骸を見つけました。
やがて国道1号に再び合流、またも広い車道のわきを中心街に向け歩き、東海地区に唯一残る路面電車の通る「東八町」交差点に到着…
ここが吉田宿の東の入口で、堂々たる常夜灯が復元されまた、東の番所と惣門があった場所でもあり記念のモニュメントが残っています。
あとは市街地の細い道を数回角を曲がりながら進みますが、豊橋市街も浜松のように戦災にも遭い再開発された影響で、古い宿場町の面影はさほど残っていません。
(本陣跡)
そんな中にあった「きく宗」…名物の菜飯田楽で知られる老舗の名店です。
市街を抜けると、豊川の袂へ…東海道はここから渡船で渡りますが明治時代に出来た「豊橋(とよばし)」の親柱が残された公園があり、渡船所があった場所でもあります。
ここで今回のウォーキングは、日が暮れてきたこともあり終了とします…
次回はこの「豊橋」を渡って先の御油宿へ向かって進みます。
二川宿から吉田宿と、京の方向へ向け西へ歩きに出かけました。
前回のゴール地点・三ツ坂交差点へ向けまずは東海道線・新所原駅を下車し、
駅のある静岡県湖西市から再び愛知県入り、豊橋市の東の外れの市道を行きほどなく、
国道1号の三ツ坂交差点に到着…ここから東海道ウォークを始めます。
この先しばらくは国道1号線の歩道を西へ歩きやがて新幹線ガードをくぐり、先程乗った東海道線を踏切で越え、古い家屋の残る二川宿に入ります。
戦災を免れた事もあって風情ある町家が点在し、宿場町の雰囲気を色濃く残しています。
「駒屋」と呼ばれる由緒ある醸造店が今もなお健在、和菓子屋などもあって名物の饅頭などを売っていました(↓東駒屋)
(西駒屋)
やはり二川宿といえば、東海道の中でも残り少なくなった本陣が、ほぼ完全な形で現存してるという事でしょう…
自分は8年前にここを見学、ブログ記事にも載せています(記事はこちら)
そんなことで今回は外から眺めるにとどめ、先に歩を進めます…
二川宿を抜け、あとは豊橋市街を北西方向へ歩きます。火打坂と呼ばれる坂道を抜け岩屋地区の市街へ…ほとんど住宅地の中で面影まばらな中、松並木の残骸を見つけました。
やがて国道1号に再び合流、またも広い車道のわきを中心街に向け歩き、東海地区に唯一残る路面電車の通る「東八町」交差点に到着…
ここが吉田宿の東の入口で、堂々たる常夜灯が復元されまた、東の番所と惣門があった場所でもあり記念のモニュメントが残っています。
あとは市街地の細い道を数回角を曲がりながら進みますが、豊橋市街も浜松のように戦災にも遭い再開発された影響で、古い宿場町の面影はさほど残っていません。
(本陣跡)
そんな中にあった「きく宗」…名物の菜飯田楽で知られる老舗の名店です。
市街を抜けると、豊川の袂へ…東海道はここから渡船で渡りますが明治時代に出来た「豊橋(とよばし)」の親柱が残された公園があり、渡船所があった場所でもあります。
ここで今回のウォーキングは、日が暮れてきたこともあり終了とします…
次回はこの「豊橋」を渡って先の御油宿へ向かって進みます。
この辺り豊橋市役所と豊橋駅の間は何度か歩いたことがあるくらいですね。
「豊橋」は一度くらい行っとけばよかったなあと思っています。
by スミッチ (2016-04-23 21:17)
>スミッチさん…豊橋駅と市役所の間は歩いて行くか、市電乗って行くか、微妙な距離ですね。
by アキーロ (2016-05-02 00:33)