東海道ウォーク・金谷~掛川(1) [ぶらり旅]
前記事の話題が続きますが・・・12月の1泊旅行の2日目、
宿泊地の沼津から、以前10月に行った藤枝から金谷までの間【記事参照】ウォーキングした続きで、金谷から掛川までまいりました・・。
一旦掛川で荷物を預けたあと、金谷に戻り駅から前回行った石畳の入り口へ
ここから、近年地元の有志によって復元された石畳をしばらく歩きます。
さすがに凹凸が激しく、現代の靴ではなかなかスムーズに歩けません。
しかし江戸時代は草履が中心で、もっと歩きにくかったに違いありません・・。
途中にあった「石畳茶屋」・・・実際茶菓子がいただけます
石畳が切れて高台の道へ・・・途中、富士山が見えましたね。
その先に、武田氏が築いたという諏訪原城址があり、御堀の跡が明確に残されています。
旧東海道の方は茶畑の中を縫うように、見通しの良いアップダウンが続きます。
石畳も所々に敷かれています
やがて、間(あい)の宿の菊川に近づきますがその手前、江戸時代当時から残っている
本物の石畳が数百mあり意外な遺構があるのに驚きましたね・・・。
ここが菊川宿ですが、五十三次には数えられない”間の宿”で、
比較的小さな宿場町です。
その後は急坂が続いてかなり息が切れましたが、しばらくして佐夜鹿の集落へ・・・
「小夜の中山」で知られる山越えの難所を越えた場所になります。
その一角にある、掛川城主の山内一豊が関が原の合戦の際、
徳川家康をもてなしたという茶屋の跡です
その向かいにある「夜泣き石」があった久延寺
すぐそばにある「扇屋」・・・子育て飴(水あめ)を売っていることで知られる茶屋です。
この地には、かつて妊婦が盗賊に殺され残された乳児を、久延寺の住職が
水飴で育てたという伝説がありますが、その水飴が伝承され今も売られています。
佐夜鹿から先は緩い下り坂が続き、その両側は茶畑が広がりのどかな光景です・・・
まだ標高は高く、この辺りから南アルプスの山々も遠望できました・・・。
この先をさらに進んでいくとやがて、国道1号に出て次の宿場・日坂宿に入ります。
(2へつづく)
宿泊地の沼津から、以前10月に行った藤枝から金谷までの間【記事参照】ウォーキングした続きで、金谷から掛川までまいりました・・。
一旦掛川で荷物を預けたあと、金谷に戻り駅から前回行った石畳の入り口へ
ここから、近年地元の有志によって復元された石畳をしばらく歩きます。
さすがに凹凸が激しく、現代の靴ではなかなかスムーズに歩けません。
しかし江戸時代は草履が中心で、もっと歩きにくかったに違いありません・・。
途中にあった「石畳茶屋」・・・実際茶菓子がいただけます
石畳が切れて高台の道へ・・・途中、富士山が見えましたね。
その先に、武田氏が築いたという諏訪原城址があり、御堀の跡が明確に残されています。
旧東海道の方は茶畑の中を縫うように、見通しの良いアップダウンが続きます。
石畳も所々に敷かれています
やがて、間(あい)の宿の菊川に近づきますがその手前、江戸時代当時から残っている
本物の石畳が数百mあり意外な遺構があるのに驚きましたね・・・。
ここが菊川宿ですが、五十三次には数えられない”間の宿”で、
比較的小さな宿場町です。
その後は急坂が続いてかなり息が切れましたが、しばらくして佐夜鹿の集落へ・・・
「小夜の中山」で知られる山越えの難所を越えた場所になります。
その一角にある、掛川城主の山内一豊が関が原の合戦の際、
徳川家康をもてなしたという茶屋の跡です
その向かいにある「夜泣き石」があった久延寺
すぐそばにある「扇屋」・・・子育て飴(水あめ)を売っていることで知られる茶屋です。
この地には、かつて妊婦が盗賊に殺され残された乳児を、久延寺の住職が
水飴で育てたという伝説がありますが、その水飴が伝承され今も売られています。
佐夜鹿から先は緩い下り坂が続き、その両側は茶畑が広がりのどかな光景です・・・
まだ標高は高く、この辺りから南アルプスの山々も遠望できました・・・。
この先をさらに進んでいくとやがて、国道1号に出て次の宿場・日坂宿に入ります。
(2へつづく)
お茶畑がいかにも静岡らしいですね。
石畳の道やお寺や茶店など、昔ながらの風情を感じられて
とてもいいですね。東海道を歩くのもいいですね。
by masa (2014-01-04 15:46)
>masaさん・・・このコースは山越えで坂も多く、
かなり難儀な道でしたが、昔の旅人の
苦労をしのぶ事が出来ましたね・・・。
by アキーロ (2014-01-06 01:42)